きらきらチャレン人
今回ご紹介する『チャレン人』は、ミュージシャンでマジシャン、合わせて“マ~ジシャン”のチャーリー篠塚さんです。
県内外で広く活躍されており、確かな技術と面白ろトークで多くの人々を楽しませています。
『チャーリー篠塚さん』って一体なにもの!?
みなさんは、平成28年10月に下野新聞に掲載されたこんな記事に見覚えはありますか?
『手品と音楽で被災の熊本支援』
ギタリストでマジシャンの東町、チャーリー篠塚さん(36)=本名篠塚崇志(しのづかたかし)=は11月5日、熊本地震復興支援のチャリティーライブを石林のミュージックチャーチJICで開く。
「ギタリストでマジシャン・・・?一体この人は何者なのか?」
そんな疑問を抱いた方も少なくないのではないでしょうか。
それでは、そんなみなさんの疑問にお答えします!
根っからのミュージシャンです♪
チャーリーさんは、ギター好きだったお父さんの影響で5歳からギターを始め、聞いたことのある曲なら何でも弾けるという、プロのギタリストです。
ギターを自由自在に操り、ときには三味線のように、ときには異国の楽器のように弾くことで、私たちを地方や外国へいざなってくれます。
そんなチャーリーさんは、60年代に日本でも人気を博したアメリカのロックバンド「ベンチャーズ」が子供の頃から大好きで、現在はベンチャーズのコピーバンド「THE Red Rabbits」のリーダーも務め、ホテルの専属バンドマンとしても活躍しています。
アメリカ仕込みのマジシャンです♠
チャーリーさんは、ミュージシャンであると同時にプロマジシャンとしてもホテルやレストランなどで活躍しています。
そのマジック技術は非常に高く、見ている人たちの心を一瞬にして奪ってしまいます。
「ここに10円があります」と、チャーリーさん。
この後、一瞬にして10円が100円に!!瞬きせずに見ていても仕掛けが分かりません!
マジックを行う際は、アメリカのカジノで使われているというトランプを使用。不正防止の封印がされているもので、マジックを披露する時には毎回新しいものを開封するのだとか。年間にして約4000個ものトランプを使いますが、終了後にお客さんにプレゼントするため、溜まることはないそうです☆
なぜ、チャーリーさんはミュージシャンでありながら“マジシャン”を目指したのか。
そのきっかけは、ミュージシャンであったことが深く関係していました。
10代でエレキギターにハマったチャーリー青年は、大好きなベンチャーズのモデルギターが作られている現場が見たいと、1999年にそのギター工場を目指してアメリカへ飛び立ちました。
しかし、その工場へ到着したチャーリー青年は愕然とします。
なんと、そのギター会社は92年に潰れてしまっていたのです。
当時、インターネットなどの情報元はあまりなく、よく調べられずに行ったことが原因でした。
チャーリー青年がサラ地となっていた跡地を呆然と眺めていると、ある男性が話しかけてきたそうです。
なぜ、たたずんでいたのか説明すると、その男性は奇遇にも「ギター職人」だったのです!!その男性は、可哀想に思ったチャーリー青年を自分の工房に連れて行ってくれ、なんとギターを作ってくれることになったそうです。
そうして、しばらくアメリカに滞在することになったチャーリー青年がまずぶつかった壁は、「言葉が通じない」ということ。
アメリカに行く直前の若かりしチャーリー青年。
そこで、コミュニケーションをとるために、当時少しできたマジックを披露したところ喜んでくれ、打ち解けることができたのだとか。
そして、徐々にアメリカの生活にも慣れてきたチャーリー青年は、3ヵ月後にギターが出来上がった後も、そのままアメリカに滞在し続けたそうです。
そのことで、次に出てきた問題は「お金」。
貯金も減り、お金を稼ぐことを考えたときに思いついた事こそ、そう「マジック」だったのです。
チャーリー青年は、本やビデオを見て“独学”でマジックを覚え、1年9ヵ月もの間アメリカでマジックの腕を磨いていったそうです。
本業は「○○師」!?
夜はミュージシャン、そしてマジシャンとして活躍しているチャーリーさんには、実は本名:篠塚 崇志としての“昼間の顔”があります。
篠塚さんの本業は、実は整体師なのです!!
最近はミュージシャンとマジシャンとして地方遠征の仕事などが忙しく、整体を行う時間がなかなか取れないそうですが、「篠塚さんの施術は長い時間やらなくてもラクになる」と、お客さんが絶えないのだとか。
チャーリーさんもその想いに答え、「助けを求める人は見捨てない」と、合間を縫って治療にあたっています。
人の笑顔を求めて。「ありがとう」と言われる仕事を!
3つの職をプロフェッショナルレベルまで極めるのは容易なことではありません。
しかし、不思議なことにチャーリーさんの肩に力は入っておらず、気合いなどは感じられません。
ただ、チャーリーさんは言います。
『「頑張るぞ!」と力むのではなく、とにかく目の前のものごと一つひとつに“一生懸命”逃げないでぶつかっていくことこそが大事。』だと。
そうしてきた結果が、今に至るのでしょう。
さらにもう一つの理由は、チャーリーさんは小さい頃から『人を楽しませることが大好き』だったということ。
「人を笑顔にしたい」という素直な気持ちがあったからこそ、一つひとつ真剣に一生懸命取り組むことができたのではないでしょうか。
最近、チャーリーさんは、自分の人生を見直すきっかけがあったそうです。
そのことで、絶対に「嘘をつかない、陰口を言わない、約束は守る」という新たな信念が出来たのだとか。
さらに、改めて『人を楽しませる・喜ばせるような生き方』をしていこうと強く思ったそうです。
「懐かしい曲だわ、弾いてくれてありがとう!」
「なんでそんな不思議なことが起こるの?孫が笑ったよ、ありがとう!」
「ずっと悩んでいた腰痛が治ったよ、ありがとう!」
そんなふうに、全ての職で「ありがとう」といわれる仕事をやっていきたいといいます。
むすびに
小・中学校で講話をする機会もあるというチャーリーさんは、「いじめを受けている子などに、もっと楽しい生き方、考え方があるよと教えてあげたい。」といいます。
さらに、チャーリーさんは、これまで100回以上も老人ホームを訪れ、ギターやマジックを披露し、たくさんのお年寄りの方々を喜ばせる活動も行っています。
それらすべてのことから、冒頭の「チャーリー篠塚さんは何者なのか」という疑問の答えが見えてきます。
チャーリー篠塚さん、いや、篠塚 崇志さんは『みんなを笑顔にするスペシャリスト』なのだろうと思います!
自分ができることを「一生懸命」頑張って、人を喜ばせる。
チャーリーさんにとって「人を楽しませること」が「自分の人生の楽しみ」でもあるのだと感じました。
これからもみんなの笑顔を追い求めて、那須塩原をはじめ、栃木、日本のみんなを元気にしていって欲しいと思います☆
※2016年11月5日放送のRADIO BERRY『チャレンジing那須塩原』でご紹介しました。
チャレンジing那須塩原~一歩踏み出す人を応援するまち
「立ち向かうユウキ」「乗り越える強いココロ」「きり拓くチカラ」
僕らは、先人からフロンティア-DNAを受け継いでいる。
だからこそ、新しい世界に挑み、チャレンジする人を応援できるのである。