きらきらチャレン人
「秘湯を守る戦い」~温泉旅館の娘に生まれて~
2016/08/15
今回、ご紹介する『チャレン人』は、
塩原元湯温泉「大出館」で父と共に秘湯を守っている若女将の山本順子さんです。
お客様一人ひとりを気遣う、真心の若女将です♪
秘湯の宿「大出館」
大出館の始まりは大正12年。
もともと鬼怒川で旅館をやっていた曾祖母が、胃腸の治療のために湯治に通っていた温泉旅館の湯に惚れ込み、遂には買い取って、新たに「大出館」を設立したそうです。
平安時代から湧き出ているというその源泉は2つ。
日本に一つしかない、鉄分を多く含んだ真っ黒な温泉「墨の湯」と、天候に気候によって色が変る「五色の湯」です。
全8つの浴槽で100%源泉かけ流しの天然温泉を味わう事ができます。
その温泉は正に自然の産物。
条件が合えば、同じ日の朝と夜でも色が変わり、訪れる人々を驚かします。
さらに、飲泉することもでき、体の中からも外からもその効能を感じることが出来ます。
山奥にあるため、アクセスが大変な立地条件にも関わらず、その湯の確かさゆえに、古くから湯治場として栄え、多くの人々を癒してきました。
現在では、その秘湯を求めて“日本全国”からたくさんの人が訪れます。
左:鹿の湯、右:墨の湯
高尾の湯(※女性専用)
子宝の湯(※女性専用)
左:平家かくれの湯、右:御所の湯
岩の湯
藤の湯(※家族風呂・貸切)
温泉旅館の娘に生まれて
家業を継ぐという決意
順子さんは、生まれも育ちもこの「大出館」。
子供の頃は、立地条件により、学校へは車で送り迎いをしてもらい、なかなか友達と遊ぶことも出来なかったそうです。
しかし、それが当たり前と思っていたため、特別その環境を苦に思うことはなかったそうです。
15歳までを過ごし、その後、高校に通うために宇都宮へ出たそうです。
高校時代は、自転車に乗ったり、友達と遊びに行くなど、いわゆる“普通の事”が楽しくてしょうがなかったのだとか。
高校卒業後は、東京の美容師学校へ進み、そのまま東京で美容師見習いとして働いたそうです。
そんな中、20歳の時に順子さんの母が他界。
幼い頃から、祖母と両親で旅館を営む大変さは見てきました。
それゆえに、決断するまでには時間がかかったそうですが、祖母と父だけで営む大変さを考え、旅館を手伝う決意をしたそうです。
そして、21歳のときに帰郷しました。
『守る』という戦い
順子さんは、旅館の仕事は大体理解していたつもりだったといいます。
しかし、実際にやり始めると、色々なことが分かってきて、その真の大変さを知ったそうです。
最初は、父のやり方に賛同できないという部分もあったそうですが、だんだん「父の言っていることが正しい」と分かるようになったのだとか。
「宿を守る」という言葉はよく聞きますが、大出館を『守る』というのは、ただ続けていくだけの努力では成し遂げることはできません。
非常に濃い源泉を100%掛け流しているため、空気中に漂う硫黄成分により、風呂場の壁は勿論、建物は傷み、ほとんどの金属はすぐに腐食してしまいます。
テレビ、エアコン、冷蔵庫などの電化製品の寿命は長くて1年、中には半年もたない物もあるそうです。
車においては、購入して1週間でエンブレムが錆びついてしまったそうです。
直しても、直しても、終わりはなく、修繕費と電化製品の購入費は相当なもの。
旅館を維持していくのは、大変な苦労が伴います。
自動販売機に入っていた10円は1週間でこんな姿に。
自動販売機自体も半年でダメになります。
浴室の設備は更に痛みが早いです。
露天風呂の柵も寿命が短いです。
それでも頑張れるワケ
順子さんは、どんなに維持費が掛かろうとも、“この湯の良さ”には変えられないと言います。
大出館を訪れる客さんのうち、半分はリピーターの方だそうです。
来るのが大変な場所にあり、さらに設備は錆などで綺麗とは言えないにも関わらず、それでもこの温泉を求めて来てくれる人達がたくさんいる。
その人たちのために、源泉を薄めるなどの手を加えることなく、“源泉100%を出し続ける”という事をこだわり抜いているそうです。
さらに、お客様から「この症状を良くするために来た」という話や「ここが治った!」などの喜びの声を聞けることが最大の喜びなのだとか。
そういう時は、「温泉旅館をやってて本当に良かった」と、幸せを感じるそうです。
この奇跡に感謝して
順子さんは、湧き上がる源泉の勢いから “自然の力”を感じるのだとか。
子供の頃からずっと見てきたお湯でもなお、毎日変わる温泉の色に感動をしてしまうことがあるそうです。あまりにも綺麗な時は写真に収めるのだとか。
大出館周辺の地域では、どこを掘っても温泉が湧くと言われており、ある日、水たまりに温泉がポコポコ湧いているのを見つけたそうです。
「もしかしたらこのまま温泉になるかも・・・」と思い、少し掘り広げて観察をしてみたそうですが、残念ながら、それは2日後に引いて無くなってしまったのだとか。
しかし、それを見た時に、今、出ている源泉がずっと“湧き続けている”ということが、どれだけ素晴らしいことか実感をしたそうです。
維持するのはとても大変ですが、「絶対に大切にしていこう!」と誓ったそうです。
また、温泉に併せて、壮大な景色にも恵まれた場所で旅館ができていることが本当に贅沢だと、自分の置かれた環境に感謝の気持ちでいっぱいなのだとか。
大出館からは壮大な景色が望めます。澄んだ空気で心もリフレッシュ!!
湯治の文化を未来へ引き継ぐ
順子さんは、父の言う「湯治場を残す」という想いを守って行きたいと言います。
それは、順子さん自身が湯治場の良さを知っているからでしょう。
順子さんは子供の頃、「おじいちゃんおばあちゃんに囲まれてお風呂に入っていた」という光景が今でもはっきり頭に浮かぶそうです。
そのおじいちゃんおばあちゃんは本当に笑顔で、その真ん中に自分が居た・・・
それが、とても幸せだったのだとか。
順子さんは、そういった湯治場の温かい雰囲気をずっとそのまま守って行きたいのだそうです。
湯治の文化が薄れつつある中、順子さんの娘の世代は湯治場というもの知らずに育っているといいます。
しかし、湯治場とはどういう場所で、どういった良さがあるのかをしっかりと伝え、引き継いでいきたいと思っているそうです。
順子さんの愛娘めいちゃん13歳。この秘湯に毎日入っています♨
また、「将来、子供が困らぬように!」と、未来に向けても準備中です。
建物や設備の修理をする際は、錆びない素材を取り入れ、配管などを修理する際は、見える場所に配置をし直すなど、管理しやすい方向へと改善をしていっているそうです。
むすびに
取材を通して、順子さんご自身がその温泉を愛し、環境やお客様に心の底から感謝しているという事が、ひしひしと伝わってきました。
そして、可愛らしい外見からは想像できないほどの順子さんの“強さ”に心を打たれました。
最後に、「こんなにも恵まれた環境で旅館が出来ていることに感謝しながら、この温泉と景色、また、お客さんの温かみを守って行きたいです。」と語って下さった順子さん。
温泉旅館を守っていくことは本当に大変な事だと思いますが、これからもたくさんの人たちを癒すため、「未来へ繋ぐチャレンジ」、頑張っていって欲しいと思います!!
※2016年8月13日放送のRADIO BERRY『チャレンジing那須塩原』でご紹介しました。
チャレンジing那須塩原~一歩踏み出す人を応援するまち
「立ち向かうユウキ」「乗り越える強いココロ」「きり拓くチカラ」
僕らは、先人からフロンティア-DNAを受け継いでいる。
だからこそ、新しい世界に挑み、チャレンジする人を応援できるのである。